千葉に引越してきました。

小学校6年生の3学期です。。。周りは卒業ムード笑

わたしは転校してきて千葉と大阪がこんなにちがうのかというくらい、千葉のほうはみな私立中学校へ受験するとかで同級生が必死に勉強していました。

私はというと・・まだまだボーと生活していたような気がします。このころは”たまごっち”が流行しており

それがクラスでなくなったかで大きな問題となっていました。

実は千葉は今までの人生で長く暮らした場所になります。このあと公立の中学にうつるのですが・・・

その前に小学校のときの卒業式の話をします。

卒業式、わたしは1学期(それよりも少ない期間だったような・・)、しかいませんでしたが、

卒業式は未来への旅たちと周りへの感謝など語る場だとおもいますが、自分も印象に残ってたのがこの短い期間しからいない自分は卒業式でどちらかというと第三者のような感覚で参加していました。

体育祭で頑張った対抗リレー、卒業記念前にいったディズニーランド、はじめての修学旅行は本当に楽しかったです!と代表者が卒業式でスピーチしたのを聞いて、自分は・・こっち対抗リレーやったんだ、ディズニーランドいったんだいいね・・・

自分は言ってないけどね。

さて、ここからは中学校へ

中学校は本当に荒れている学校でした。はい、さきほど小学校でみな私立中学にいくのはこの理由だったようです。最初の入学式でおもいました。。ここの学校は荒れている。。。

初日に中学3年生がバイクで通路はしっていたり、3F(中学3年)からモノがとんできたり、警察の人が巡回していたり

ここはやばいと感じました・・

なにせ授業という授業もできない状況なので、先生と生徒が殴り合うとか。。まるで昭和初期?なのかという感じです。

ただここの給食は本当においしく、なぜ学校にいくのか?と聞かれると給食を食べに行くからですと本気で答えていました。

部活は柔道部へはいりましたが。。ここもあれていましたね。

中学生のときは自分もあれていましたね。こういうときって身近な人(家族とか)にあたってたような気がします。

これが世にいう反抗期ですね。

親が貧乏で押し入れで寝ている子だったり、その日のごはんがたべれず親がお米や醤油代のお金を借りて生活したり、はたまた子供に毎月3万円をあげているけど、子供とあっていない親がいたりといろんな家庭事情をみることができました。あの頃は特になにも感じませんでしたが、自分が幸せであることに感謝することは本当に大切ですね。

中学校の卒業式に、、

友達に言われて驚いたのは、「おまえはいいな高校にいけて」という言葉がいまでも刺さっています。

そう、高校にいかない子が実は同じクラスで10%ぐらいいたのです。

お金という理由もあれば、勉学だったりしますが、、、人生の進路を選ぶことができない環境は本当に悲しいです。

私も全然勉強しておらず、親に中学3年より塾に通わせてもらいました。(感謝です。)

さて、次は高校編となります。