小さいころから海外で働きたい夢を追いつつ、現在はシンガポールに居住しています。

さて自己紹介となりますが、子供の頃は転勤族でアメリカや日本(大阪、千葉など)、親の仕事の都合で転々としていました。

まずは、小学校時代についてです。

小学校時代はおとなしい性格でどちらかというとぼぉーとしており環境にもなじめないシャイな方でした。

アメリカのペンシルベニア州へ突然、転校

正直、何がおきるのもわからない、英語?ってなにという感じで現地の小学校へ入学

言葉が通じないので、最初に覚えた単語は”toilet”、これはトイレにどうしても行きたいときに使っていた言葉です。

現地の小学校では外国人が珍しく、みなあつまって声をかけてくれますが、なにぶん英語がわからないのでそのブームをいつしか終わり、、ひとりぼっちへ笑

ただ、アメリカのすごいのはそういった英語が話せない子に対して現地プログラムと先生を準備してくれたおかげで

クラスみんなとは別のクラスで授業をしていました。

ただ、体育、図工、算数の時間だけはみんなと同じクラスで少し楽しかったのを覚えています。

全部英語ですが・・

ここが私の海外体験の出発点でした

親も子供に英語以外にも習い事をすすめてくれて

空手、ボーイスカウトなどをやらせてくれました。(自分も大変だったけど、親も大変だったかとおもいます。)

空手は日本の国技ということでスクールに通ったときにはちやほやされ、自分も空手、楽しいという思い出です。

空手で初めて地区大会へでたんですが、奇跡がおきたのでしょう、その学年の大会で2位になり、大きなトロフィーをいただきました。

ボーイスカウトではザ、アメリカのボーイスカウトらしく、みんなで火をおこしたり、みんなで山林を冒険したりと言葉をしゃべるという機会がすくなかったのかこれまた楽しい思い出でした。

あのまま英語生活だったらと考えると、かなり憂鬱だったかもしれません。。

さて英語勉強はどうやっていたかというと、ひたすら映像をみるという手法でした。

パネルと音声が流れるもので絵と音を覚えるようなものになっています。。

おかげさまで単語のヒアリング力はつきました。笑

月日がたち、今度は日本語もおかしな状況になってきたので

日本補講校へ通うことに

ここは土日やっていたので、小学校のときは平日は現地校、休日は日本語学校へ通っていました。

月日は流れ、小学3年生に。。

そして今後は大阪という場所へ引越することに・・

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